分かちあいたいブログ

福祉サービス事業所で働いてます。福祉のこと。他いろいろ 

時代と共に介護を受ける利用者のクレーム内容に変化があるかどうかを考えてみた

同業の記事というのは、好奇心をそそる。

介護保険制度は全国共通であり、公費の介護報酬算定対象となる介護サービスも全国共通している。なので記事からヨソの事業所の奮闘っプリを垣間見るのと、管理職が書き綴る事で事業所のカラーなるものも見え、覗き見に似た卑しいワクワク感と、同じ業界で働く者として共感する部分もある事から、ケアトモというサイトを訪問する価値を感じている。このサイトにUPされている記事を読み。・・


訪問介護事業所で管理者をされている方のようです。3ページに亘り綴るクレームについての記事から、よほどの苦悩が伺える。それと、内容のアケスケ感がたまらなく刺激的。

 

1ページ目は、介助時の汗だくストレスに加え、利用者から介助時の衣服指定があっただとかで、その苦悩が書かれている。

2ページ目は、タイトルのまんま苦悩のダメージの大きさに胸を打たれた感がある。

3ページ目は、悲壮感が溢れ滲んでる。

見ていこうと思う。

 

1ページ目タイトル "「そのような半ズボンは履かんといて!!!」"

 

入浴介助時の利用者が発した言葉が介助する側の腑に落ちないので困惑しておられる

 

・「みっともない、膝を出すズボンなんて私は嫌い!」

・「あのような胸の空いたシャツはいやらしい」

・「あのような派手な色の服は・・」と言うのである。ただ単純に・・。

皆は、非常に悩んだ。

安全を考慮し短パンを履きたいが利用者の意向により短パンはアウトとなった。そして他にも服装のチェックが厳しいと嘆いている

 

・ここまで「利用者本位」を受け入れなければならないのか

・自立支援と介助を行いたい私たちの「仕事の尊厳」は無視されて

失望したヘルパーもいた

・これ以上どこまで気を使わなければならないのか・・と。

・今までにないクレームのひとつである。

 

合理性が受け容れられないと、介助者側の動作と作業工程が増えるので安全面でのリスクが高くなる。時間的にも速やかにはいかない。 利用者とヘルパーの価値観の相違からくる軋轢とか、悩ましい。

   

f:id:apr64:20141025134354j:plain

画像引用元:http://prcm.jp/album/favorite0pic/pic/36502631

 

2ページ目タイトル  "「最低の事業所ですね!!」″   

 

利用者の娘がヘルパーの掃除の出来に口出しする。それがまた、容赦ないヒステリックに指摘するので辟易しているという内容。

 

それに加えて

急なキャンセルや当日の時間変更、深夜の急なケース依頼など、それは頻繁に申し出をする方でもある。

その都度、対応しているそうだ。

 

ケアマネジャーさんは、なかなか消極的で非協力的

丸投げされた感、 いよいよ怒り心頭

 

「トイレが汚れていた!掃除がされてない!!!」と、クレーム

 利用者は歩行ができ、ヘルパー不在時にトイレで排泄した際、汚してしまう。汚れたトイレを見た娘さんがヘルパーの仕事がなっていないと激怒

 「最低の事業所やね!!」とまでメモに残されてしまっていた。

ヘルパーに向けた個人攻撃ではなく、事業所攻撃で幸いだ。

これが、あのヘルパーは最低のヘルパーやね!!となると、ちと辛い。そういう事もあると思うが。

 

何をもって最低なのか、もしかしたらヘルパーには高級ホテルのようなホスピタリテイを求めてみえるのかと、一同はものすごく落ち込んだ。

ちょい前に、「ヘルパーさんって五感が必要よね」と外部の人に上からの態度で言われた事がある。が、五感の無い人はいないと思う。それぞれが感性を用いて対応していることだと思う。そこに好みの問題が発生するだけで。

さんざん振り回され続けてきた主任たちは、かなり心が傷ついてきていたに違いない。

 掃除って疲れるよね。夏場は特にね。でも必要なんだよね

 
憂歌団 #04 おそうじオバチャン ラストライブ 1998-12-19 - YouTube

 

3ページ目タイトル "まとめ〜15年間のクレームの変化は・・"

 

介護保険がスタートして15年が経ち、クレームの変化を振り返っておられる。

クレームは介護の状況自体よりも、その周辺で起こるイザコザのほうが多くなってきている

 

その周辺のイザコザ。私にも似たような体験がある。障害福祉サービスの重度訪問介護から介護保険へと移行時、グッと単価が上がる介護保険利用者の臭いを嗅ぎつけた他事業所が、恐らく乗っ取り目的であろう、数年に亘りその利用者を担当していた私の足元を掬うような行為を仕掛けてきた。

まさにコレぞ、利用者抜きの泥沼。資本主義のイザコザ。

介護保険障害福祉サービスの併給と特例の成果を出してソレが買われ、掬わせませんでしたが。舐めんなヨ精神で穏便に。

 

もう限界・・と涙ながらに伝えるベテラン主任もでてきてしまっているのが現状である

 燃え尽きのオンパレードとならないよう願うばかり

働く側のヘルパーたちは、「本来の介護」に希望を見つける前に疲弊し、「やる気」を失いかねない

だから、やる気とかヤリガイとか妄信するのは危険キケン。目的に集中ですね。闇から希望を見出すのです!!(エラソー)

 

核家族の中で、日本人としての道徳教育を蔑ろにしてきた時代の弊害が覗えるのは、私だけだろうか

 道徳問題なのだろうか。・・

 f:id:apr64:20141025163425j:plain

 

まとめ

利用者の価値観とヘルパーの感情に挟まれ、折り合いがつかず疲弊されている管理職の様子が垣間見れる。汗だく非効率、ヒステッリックに罵られる、脅しのような事態に遭遇しないかというと決してそうでない。

善意が悪意へと変換されることも時にあり。

ヘルパーに恥をかかすとか。

数えて気にしているとキリがない。

かといって愚鈍になるつもりはない。葛藤ですね

 

終わりに

どの程度か分かりかねるが、限界を感じているというのは軽視できない。かなり追い込まれているなといった感を抱く。

その昔は、介護保険制度がスタートした時分、ヘルパーの数が沢山おり、報酬単価は高く、登録ヘルパーは今の倍以上の30万近く稼ぐような時代であった。万能ヘルパーはスーパーヘルパーと呼ばれ会社に褒め讃えられ、その方々たちの介護支援の価値観が機能し、新人教育にも一役買っていたのでは。なかには、その方々が管理職となっていることだろう。ところが昨今は介護報酬である金銭的報酬は法改正の度に減額され、それに加え人員不足の問題もあり、当時のように儲けはでない、ヘルパーは辞めていく、募集をかけても人は来ないという当時にはみられなかった業界の価値の暴落から、今という現在ではヘルパー交替や都度対応という臨機応変を機能させることができない。それは一件を逃すという危機感に繋がる。そうして、いよいよもって利用者本位というのは、どういうことなのかを考えざるを得ない。燃え尽きが頻繁に起こるようでは会社のOJTに問題があるという裏付けとなり、焦燥感は募る一方であろう。そう考えると道徳の問題に置き換えるのは現実逃避ではなかろうか。

それと私は勉強不足の為"「本来の介護」"といったものが何のか分からないでいる。

 制度に基づき、事業所のキャパと事業所の役割を知り、利用者の価値観を受容し、ニーズを拾い、ジャッジせず、利用者側には真実を伝える、と習いましたが。

クレーム対応も然り、緊迫しますね。言うは易く行うが難しですから。

けど、ヘルパーさん達に大顰蹙を買おうが、せざるを得ない支援というのは存在する。法に則って目的に焦点を合わせて、達成しようがしようまいが、そこを目指してプロセスを歩むまで。

気の長い旅ですわ