ジャッジ
福祉を仕事にしているので、当事者の困り事に関わっていくのは当然で、
家族や親戚の人たちと、向かい合うこともある。
そうして、本音の部分に触れるたび、平常心を保つのが精一杯となる。
心を開き、話してくれた相手のことを大事に思う。
健常者の中には、偏見の強い人もいて、矢で刺すような言葉を耳にするたび、私は落ち込んでしまう。
残念な気持ちになる。
人生は、いつ何が起こるか分からない。
人生の苦は平等に訪れる。
今、この身で生きる (今を生きるシリーズ) を読み、共感する部分がたくさんあり、心がけたいと思える内容の一冊です。
帯には、患者に寄り添い続けるお坊さんのお話、と書かれており、
ホスピス・緩和ケア病棟でボランティアをされているそうです。
第一線でがんばっているビジネスマンが、体調が悪いな、と思って病院で診察を受けたら、すでにガンがかなり進行していた・・。
こんなケースは枚挙にいとまがありません。
いずれにしても病気発覚したときから、この人の日常は一変します。
仕事はもとより、ふつうの生活をしたくても、もう、不可能なわけです。
ここで仏教がいう「苦」が生じます。思い通りにならないことからの苦しみです。
ともに生きる
「思い通りにならない」人生を生きるためには、ともに歩む人が必要です。
仏教には「四無量心」という実践法が説かれています。四つの無量なる心。その四つとは、相手を慈しむ心の「慈」。相手の苦しみを何とかしてあげたいと思う「悲」。相手の幸せを自分のこととしてともに喜ぶ「喜」。誰に対しても平等に接する落ち着いた心を持つ「捨」。この「慈悲喜捨」の実践こそ、だれひとり孤独にせず、孤立させない仏教の知恵の結集であるといえます。
(中略)
生き辛い世の中であっても、生きる意味を見失う苦境になっても、ともに揺れ、ともに在り、ともに歩む人と出会うことができれば、そのいのちを再び輝かす日がくるはずです。
姿、形は違えど、みんな、誰かの、大切な人として、この世に生まれてきたのです。