山田詠美『賢者の愛』を読み
登場人物どれも全く共感できない。この物語に登場する二人の女には警戒心を抱く。
読み終わった後、万が一のことがあったとして、"真由子"や"百合"といった登場人物に触発され、どちらかに肩入れしてしまい、それをこの物語のキーワードの一つである“親友”かもしれない私の友人に共感と理解を求め自分の内にある野心を思い切って打ち明けたとして、その後も以前と変わりなく私の友人として親友のように存在していてくれるのだろうか。私の現実では多分それは無理だろう。
愛に尊敬など必要ない。
ええ、まったく。
(帯より引用:賢者の愛)
あらすじ
高中真由子の人生を狂わせたのは、小学生のとき隣家に引っ越してきた百合。成長した百合は、真由子が思いを寄せてきた澤村諒一の子供を身ごもる。息子が誕生すると、真由子は「直巳」と名づけて"調教"を始めた・・。
(『婦人公論』より引用)
真由子は百合の息子の名づけ親であり、谷崎潤一郎の小説『痴人の愛』の『ナオミ』からとって『直巳』と名付けた。その時から計画的に百合の息子を調教していくことで復讐を企むわけだが、たとえ真由子が美魔女のようであったとしても、成人した直巳が親子ほど年齢の離れた真由子にいつまで調教される側でいられるのだろう、そうなる事も真由子は計算づくの調教だとしたら傷つくことは無いと言えるのか、真由子の復讐とはどういうものなのか、など物語りを追っていく面白さのあまり一気読みしました。
『婦人公論』N°1418/2015/2/10号での山田詠美さんのインタビューから引用です
・その人たちだけが決めたイコールで結ばれた価値観で生きる男女の形がある。そうした種類のことをなるべく織り込みたかった
・語り手は市原悦子で
性的な話しもグロテスクな話しも市原さんが読んでくださるのにふさわしいものと自負しています(笑)
男女の愛憎入り乱れた性愛の描写と、 “です” “ます” 調で書かれた文体に、違和感を感じつつ消化できないまま読み進め、読了した後暫くたって、「!!」と。その衝撃のドキドキ感は恐怖そのもの。
共感できないものを認めるという書き方をしてみたかった。
読み終え
物語りに共感する事をこれほどまで抵抗したのは初めてかもしれない。読み終えると、鬼だのお化けだのが出る御伽噺を聞かされた後のように想像して体がこわばり胸の辺りがドキドキとしていた。
そして思ったのが、願いというのは叶った方がいいのでしょうか、と。ふと、頭に過ぎり身震いした。