分かちあいたいブログ

福祉サービス事業所で働いてます。福祉のこと。他いろいろ 

家田荘子『昼、介護職。夜、デリヘル嬢。』(ブックマン社)を読んだ

昼、介護職。夜、デリヘル嬢。』を両立している幅広い年齢層の女性たちが取材に応じ、介護と風俗を語っている。私と同じ介護職に就く同業の女性たちが何をどう語っているのか興味を持ったので読んでみた。 

 “ 風俗を取材すると今の日本の縮図が見えてくる。(中略)

その結果、特に目立って見えてきたのが介護職の賃金の安さ、地位の低さ、そして利用者さんたち高齢者の性欲だった”

 

昼、介護職。夜、デリヘル嬢。

昼、介護職。夜、デリヘル嬢。

 

 訪問介護はデリヘルとちょっと似てるなって思うんです”(P.70

と言った女性は利用者の淋しさに理解を示し優しく接するところが似ているのだとか。

主任である女性介護士のケースでは、利用者のセクハラに対して、私だけに留めておいてねと言って他の女性介護士がセクハラの対象とならないよう上司として自らセクハラの対象となり利用者からのボディタッチを受け止めていた。

 

私が介護は暴力の危険が孕んでいると知ったのは、介護の仕事を始めて1年目の時だった。

男性利用者の暴力を見て事業所に報告したが、これといった解決策がない様子から、自分の身は自分で守るしかないのだと察したのを覚えている。

 

その後、研修の場で暴力について議論する機会があったが(障害福祉の方で)、援助者側が医学的・心理学的な知識と理解をもって潜在意識の奥深くにある刺激を受けると爆破する回路を避けることが暴力を未然に防ぐ方法であるだとか、また、ある議論の場ではセクハラについて、人間も動物なので本能として性欲があるから抑えるのが難しいだろうといったケアワーカーの人権は侵害されるものと諦めきったものであった。

 

暴力に対抗する力は人権であるとものの本で読んだが、今のところ援助者に限っては、暴力から人権を守る為にはエスパーにでもなって腹の底を透視するか聖人君子の人格者となり利用者と関われと言わんばかりである。

 

それでも何もやらないよりはやった方がいい。

ある障害者施設に立ち寄った時、セクハラは暴力ですと書いた張り紙がしてあった。

高齢者介護の場で、そういう啓発を促しているところはどれくらいあるのだろう。

 

性の欲望が他者を必要とした時に、一方的で、強引に相手の体に触れるとか、性的な言葉のボールを相手に投げてブツけるような事をした時、セクハラとなる。

取材に応じた女性介護士たちは、セクハラに寛容的にも見え、それが人間のサガであるかのように悟った感で利用者を受容している印象を受けたが、私には到底無理な受け止め方が幾つも語られていた。

 

著者の家田氏は、僧侶の視点も交えたあとがきにて、最期まで性欲という煩悩が残ることに対して落としどころが見つからず思案している様子である。

 

受容、共感、傾聴は気づきを得る為のメソッドであり、介護士は利用者の煩悩全てを受け容れ同意せよというものではない。

 私はこれからも利用者の性を回避していくことにする。

昼、介護職。夜、デリヘル嬢。

昼、介護職。夜、デリヘル嬢。