分かちあいたいブログ

福祉サービス事業所で働いてます。福祉のこと。他いろいろ 

アジサイの花と老婆

仕事柄、老齢の女性と会う機会が多い。
中には、ジイさんとバアさんの区別がつきにくい方もおられるが、私が知る限り、老婆であっても、どこかに必ず女性の記号を身に付けているような。
それを目にする度に思うのが、幾つになっても女は女である、と。


私は、リスペクトしている老婆がいる。その老婆はもうこの世にはいないが、その老婆を超える老婆はいるのだろうか。
幼少の頃、近所にどこかの旦那の妾だったという婆さんが住んでいた。立派な門構えを開けて中に入ると奥行きのある平屋と納屋、そして、だだっ広い庭があり、団塊世代を親に持つ私の家や友達の家の佇まいとは違っていた。

私は保育園から帰ると、よくそこへ遊びに行った。明治生まれの祖母とその婆さんが親しくしていたということもあって、可愛がってくれていると思い込み、のびのびとできる居場所のように感じていた。

趣のある佇まいから着物を着た婆さんが現れ、笑顔で私を迎えてくれる。縁側で飼い猫のシャム猫を撫でたり、だだっ広い庭があるのをいいことに、かって気ままに縄跳びをした記憶がある。

同じように年老いた婆さんの前なら、のびのびと子供らしく振る舞えるかというと決してそうではなかった。祖母と親しくしている別のバアさんが家に遊びに来ても、私は近寄らなかった。顔や髪型が恐ろしく見え、絵本に出てくる人食い山姥のようで見慣れる事はなかった。


今、自分が中年の年齢になり、あの婆さんのように歳老いていけたらと思う。真っ白に塗らなくても、やけに赤く口紅を塗らなくても、不自然に眉毛を描かなくても、あの婆さんは女性であった。そして綺麗だった。


実家の庭には毎年アジサイの花が咲く。そのアジサイは当時、あの婆さんから挿し木で貰ったアジサイである。母は、このアジサイが咲くと、決まって、これが一番綺麗なアジサイだと言う。多分、今年も同じことを言って眺めるだろう。アジサイの花が咲く頃、私は、あの婆さんを思い出す。歳を追うごとに、美しい方だったという印象が根付いていく。