分かちあいたいブログ

福祉サービス事業所で働いてます。福祉のこと。他いろいろ 

介護保険制度ができる前は

 介護保険のケアマネジャー試験に向け、過去問を解く。間違える。解説を読む。参考書を片手に七転八倒しております。 

  

介護保険制度以前の高齢者保険福祉サービスについてが、過去に出題されており、当時の老人福祉制度と老人医療制度をザッと振り返る。 

 

介護保険制度が創設されるまでは、老人福祉法に基づき、措置制度(行政が必要と認めた人に対し行政処分としてサービスを提供する仕組み)が施されていた。しかし、これには問題があったという

 

■ 措置制度の問題点

  • 反射的利益

現在はサービスを受ける利用者の権利は当然守らなければならない。しかし当時は行政処分の結果のサービスであり、実情や希望に沿ったサービスの利用ができないといったサービスの格差が存在していた。今のように、公平に、受けたいサービスが受けられるというわけではなかったようだ 

 

  • 応能負担  

高所得者には負担が過重。当時の日本は一億総中流だったようで所得税などの租税方式により、費用が決定されていた(現在は応益負担)措置制度を利用するとなると高額となる世帯が多かった。  

なので、当時は特別養護老人ホームなどの入所費も高額

 

老人医療制度

高所得者層の利用者負担が、特別養護老人ホームなどに入所するよりも、病院への入院の方が費用的に負担が少ない、ということで病院などの医療施設が、高齢者の介護需要を実質的に引き受けていた。

 

しかし、老人医療制度にも問題点が

自宅での介護体制が整わない、介護施設が存在しないなど、当時は介護が必要な高齢者に対して社会資源が乏しく、医療の必要性が少ない高齢者が、一般病棟に長期入院するなどの社会的入院が多くみられた。 

 

  • 医療費の上昇をもたすという財源の問題  
  • 介護が必要な高齢者と、医療依存度が高い高齢者とは、ケアの種類が違ってくるが、制度が整備されておらず、長期療養には適さない入院であるという問題があった  

 

窓口がバラバラ 

福祉サービスは市町村の窓口へ、医療サービスは医療機関へ、利用手続きが不便。 

  

背景

ひと昔前までは、老親扶養が当たり前とされる文化の縛りが強く、

介護者の8割は女性であり、長男の嫁が老いた親を看取るというものであった。 

しかし、高齢人口の増大、少子化、女性の社会進出、多様化する価値観の変化により、ひと昔では当たり前とされていた老親扶養が崩壊する。 

介護保険制度スタート 

いよいよもって、65歳以上の人口が急増。2000年「介護保険制度」スタート

 

感想

社会的介護が実現なりましたが、全国的に年々人材不足に悩まされているようですね。

私のおばぁちゃんは(もう今はいないですが)制度が始まる3年ほど前に、認知症を発症しました。

今なら、介護タクシーで「行ってらっしゃーい」「おかえりなさーい」という通院も有りですが、当時は、まだ制度が施行されておらずで、道の途中で転倒でもしたら大変だからと、母と私で、順番に祖母に付き添って通院していました。

そのうち、祖母は、家でジッとしているのが苦痛の様子をみせはじめました。

私の住む田舎は、祖母と同世代のお年寄りが多く、徘徊による保護という事態をチラホラ耳にしていたので、祖母もいつ「家へ帰る」と思い立ち、行方が分からなくなるかもしれないという危機感を抱いていました。  

祖母のADL(日常生活動作)が低下するなか、母が、誰にも相談せず、介護は自分の役目だと、何もかも背負おうとしていた矢先、介護保険制度が開始され、

祖母は、デイサービスを利用することに。安全な入浴と、レクリエーションの日々を過ごしました。

しかし、明治生まれの祖母は、デイサービスというものが、何なのか理解できないでいました。

帰宅し、祖母はデイサービスの様子を話してくれます。

送迎バスに乗せられて、強制的に労働させられていると認識していたようです。

レクリエーションでの折紙を、内職と勘違いしていました。

今日も出来が悪く、大将の機嫌を損ねた、といった具合に、母と洗濯物を畳みながらボヤいていたのを思いだします(笑) 

月日がたち、祖母は、自宅での生活に限界がきました。  

今なら、最期まで自宅という選択肢もなきしにもあらずですが、当時の私はド素人であったので、母をサポートする余裕も知識も性根も今よりもっと未熟。

なので、特別養護老人ホームに空きができたという知らせを受け、入所の決断をします。 

介護保険制度により、高齢者の介護は社会的介護で担えるようになりましたが、

母は、祖母の入所が、いつまでたっても、心に引っかかっているようでした。

祖母が他界し、今度は、私と両親の未来を考える年齢になっています。 

いたって、自由きままな、私のあり様も、両親の理解により、受け入れてくれていますが、もし、その時がきて、両親の介護を要する事となったとて、私は働かないと食べていけないので、先を思うと、とってもジレンマです。 

仕事を辞めるわけにはいかない一番の理由が、貧乏だから。これは大きな壁です。

介護の人材不足という社会問題は、私自身にも、突きつけられている大きな問題であります。 

 

 

「愛」なき国 介護の人材が逃げていく

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