台所とお母さん
”お母さん”
仕事で出会う利用者さんも、よく話題にする。
”お母さん”がいた昔のこと
読むと、お母さんを通して世界を生きていた子供の頃を思い出して、なつかしくなって、キュンとくる。
お母さんって、子供にとっては、影響力の強い存在ですよね。
どうやら、それは、いくつになっても、影響を及ぼす存在のよう。
お母さんが作ってくれたポテトサラダ、おいしかった。
だから、ポテトサラダを調理してほしい、と台所に立つ私の真後ろで話すから、振り向いて見てみたら、もじもじしながら、はにかんでる。
この人は、お母さんに大事にされてきたんだなぁ、と。
こんな風にお母さんに甘えていたのかな。
ほのぼのとしたものもあれば、人が変われば、対決の時も。
お母さんを傷つけまいと、優等生で生きて、中年期以降に気がついた、本当の自分を生きてこなかったと。
それでも、お母さんが好きだから、
お母さんを思いだして、葛藤する。
この世には、もういないお母さんを、家事をするヘルパーの姿に映し出す。
「お母さんに会いたい」、と言う。
おわりに。と書かれている引用です。
そんな「ちいさいあたしとおかあさん」には、
二度となれないんだな、と、ふと思う。
(中略)
もう今はない、
「自分が子ども」だった、あの食卓。
ちいさいあたしになって、また、
おっきいおかあさんに会いたい、と思う。