分かちあいたいブログ

福祉サービス事業所で働いてます。福祉のこと。他いろいろ 

ごみ屋敷化

 

ゴミ屋敷化した一軒屋に住む、独居の知的障害者の方の在宅支援に携わったことがある。

http://www.hitozukuri.or.jp/jinzai/seisaku/80kenkyu/01/H22/H22_gzero_20_2syo.pdf

(「ごみ屋敷」問題の現状と課題)

 

 大掃除の日取りを決め、役所、関係機関、事業所などから数人が集まり、ゴミを積んだ3tトラックが廃棄物処理場へと往復を繰り返すことで、やっと、ダイニングの床が見えるところまでになった(その日、当事者は作業所へ通所)

 しかし、ゴミ屋敷でなくなったかというと、決してそうではない。

 

家事の援助としてヘルパーが定期的に訪問することで、少しずつでもQOLの向上が期待できるよう関っていたが、・・。

ゴミを不快に思うのか思わないのか、これがライフスタイルだというなら、外部の者が、その価値観をねじ伏せることはできない。

そんなことを、あれやこれやと考えながら、1年が経過した頃、グループホームの入所が決まった。

とても、あっさりと、入所に承諾したという。

 

今では、お気に入りのマンガ本は本棚に整頓されていて、枕元には趣味の玩具を置き、床は床として存在しており、ゴミはゴミ箱に入っている。

彼は、『ここが、いい』と、はにかんだ表情で言った。

 

ごみを捨てずに溜め込む事例は他にも幾つかあって、家族からの相談や暮れ事を耳にする。

 どう解決していくかを考える際、参考に。バックナンバーであるが、興味深い特集記事があったので読んだ。

 ケアマネジャー 2012年5月号 | ケアマネジャー | 雑誌 | 中央法規出版

・周囲はゴミとみなしていても、ゴミ屋敷の当人はそれをゴミと認めないことが多い。

なぜゴミ屋敷に

①不本意ながらゴミが溜まっていく

②心の隙間をゴミで埋める

③心のバリケード

これら三つは、共存したり移行したりすることも有り得ると思われる

・結果的にゴミが自宅に溜まってしまい、当人はそれを構わないとは思っていないが、援助を仰ぐだけの能力や知識を欠いている。

・他人からは無価値に映る品々を溜め込まずにはいられないケースがみられる。

孤独感と孤立感

・ゴミ屋敷の内部では時間は澱み、停滞している。だが、そのことこそが、ゴミ屋敷に執着させる理由が多い。孤独であることが、そうした心性をますます助長していく。精神科医の立場からすると、孤独な状態、孤立状況は精神のバランスを失わせ、当人が「我に返る」機会を遠ざける。

・ゴミ屋敷の問題の解決には、本人を孤独感や孤立感から引き離すことが重要なはずなけれども、ゴミが「心のバリケード」となっていることが稀でないために、手の出しようがなくなってしまうわけである。

では、どうすべきか

・強引にゴミを捨ててしまうとトラブルは避けられない。それは、相手をないがしろにして心のバリケードを突き崩す営みなのだから。

・親類縁者を見つけ出す努力は必須である。そうした人からアプローチを図ってもらえればベストだろう。

 

 今の彼を見る限り、好き好んでゴミの山に身を置いていたわけじゃなかったのかも、と。

当時は、心のバリケードというのは、確かに、実感していました。

明らかにゴミなんだけど、本人にとっては、ゴミではないんですよね。ですから、慎重にゴミを分別していきました。
あと、家族が協力的であったことも救いでした。

丸投げでは、大掃除の後、これからどうするのか、という肝心なところまで話し進まないですから。大変だけど、関ってもらいたいですね。

 

 

 

 

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