分かちあいたいブログ

福祉サービス事業所で働いてます。福祉のこと。他いろいろ 

ダウン症の女の子の買い物に付き添ったときのこと

ダウン症の女の子の買い物に付き添うことがある。何を買うのかは本人が選び、小遣いの範囲内で購入する。本人が働いて得た給料で買い物をするのだから何を選ぼうと口出し手出しは無用。ヘルパーはこうした付き添の仕事もする。

 

  

 

  

 買い物を楽しむ姿を見ていると、親に付き添われ買い物していた自分の幼少時を思いだす。私の母は随分とヒステリックに「早く!」とか「だめ!」とせっかちにせっついてくるので買う楽しさが半減してしまい、よく祖母を買い物に連れ出しダダをこねて買ってもらっていた記憶がある。年寄りの気の長さにかこつけて購入に至るまで存分に物を吟味しゲットするというのは、この上ない満足感であった。

 

そんなことを思いだしながら店内を物色しているうちに買い物支援は佳境を迎える。買い物カゴに欲しい物を入れる動きがピタリと止んで、時おり無言で私の顔を見上げ神妙な顔つきをする。これはレジへ行こうという合図だ。何でもかんでもポイポイと買い物カゴに放り込むわけではなく、小遣いの範囲以内で2個か3個という約束のもと、本人が手に取って見て触り、これだと思う気に入った物だけがカゴの中に入っている。

 

親御さんとの事前の確認で財布に入っている小遣いの額を知っている私は金額が少し超えているような気がしたので、本人のかわりに電卓で計算し商品の合計金額を見せ、全部は買えないねと説明をして、納得してくれることを期待した。が、その説明を聞いた本人はごそごそと鞄の底ををまさぐりだし、もう一つの隠し財布を取り出してチャックを開け私に見せた。

 

これは自分のお金なんだから遣っていいのだと云わんばかりの目で私を見つめる。終始無言の交渉を持ちかけられ、親御さんの思惑と本人の主張と私の役割の間に挟まれる決断に迫られた。さいわいにして隠し財布から出す金額は消費税分くらいなものだろうと思い、今後の買い物支援時の参考に親御さんにはその旨を説明して本人の意向を尊重することにした。

 

ところが隠し財布の中身は3円だけであった。そうとは知らずにいた本人は、そんなはずでは!?と驚いた様子である。隠し財布発覚を知った親御さんの計らいなのであろうか。これには私も随分と極端に減らしたもんだと思いつつ、3円ではカゴの中の物全部は買えないねと事実を伝える。

 

通りすがりの親子の会話が聞こえてきた。 「今日は買わないのっ!!さっきも言ったでしょ!!」という絶妙に思えるこのタイミングに聞こえてきた親の声、欲しくて買いたくてたまらない本人の耳に突き刺さったようで、すぐさま後ろを振り向き声の主を探し当てると、買いたい買わないの親子のやり取りを姿が見えなくなるまで目で追っていた。
 

強い意志力がないと自制は困難だという。どう、つかみ放すのか。これは幼少期に学習するらしい。適切に放すことができるようになると、人生の移行期に悲しむことを厭わず前進していく事ができるというが、私は未だに何をつかみ何を放すのかという選択をするのが苦手だ。欲求というのは底抜けに果てしなく、我慢とか辛抱とか諦めるだの妥協するといったことが上手くない。

 

今回は、予備の隠し財布に3円しか入っていなかった為、どれか一つを諦めることになってしまった。選んで購入するというのは買い物では当たり前の事であるに違いないが、欲しいけど買えないから仕方なく諦めるのも自制というものだ。楽しみを先延ばしにすることは、自分に置き換えてみてもそう簡単に気持ちが収まるようには思えず、商品を棚に戻す本人の姿にいじらしさを感じた。

 

レジを済ませ袋を持つ手と反対側の手を繋ぎ、辛抱したねと声を掛けると頷いて笑顔で目を合わせてくれたので、今度は買えるといいねと言うと大きく首を縦に二回振った。

  

  

ねえ、どれが いい? (児童図書館・絵本の部屋)

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