介護の仕事にヤリガイを求めるの?
ヘルパーの仕事をしていて思う事の一つに、ヘルパーが利用者に喜んでもらおうと期待しすぎるのはどうなのだろう、というのがある。
だいたいは思い叶わずで、利用者の顔色に一喜一憂して、なかにはヘイトを募らせるヘルパーもいる。
気持ちは分からないでもない。私も自分の頑張りを利用者に認めてもらいたいという期待を募らせて仕事をしていた時期があったので。
だけどこれは、良くないなと思う。どう良くないかというと、利用者の目的が、そんなところには無いからだ。
介護保険ならケアマが、障害福祉なら相談員が、訪問介護事業所に仕事を依頼する。そうしてヘルパーが訪問することになる。そこには、目的がある。利用者が在宅での生活に支障を来しているので、支障を来している部分をヘルパーが担う。制度を利用しての事なので利用者の全ては担えるわけではないが、レスパイトとしてのケアもあるわけで。目的は、あやふやにしてはダメだと私はそう考えている。
利用者の希望する在宅生活を利用者とヘルパーが共通の目標として持つ(原則) そこを目指してヘルパーは個別援助計画をもとに業務を行う
なので、喜んでもらうとか、そういうのは二の次で、先ずは困っている部分を解決するのが先決だ。
そこで私はまた考える。ヘルパーが不満を募らせる事になるのは、どこから来ているのだろうかと。
ブラック企業批判に「社畜」の根強い反論 「今の人間は働かなさすぎる」「根性なしは辞めろ!」 | キャリコネニュース
反論から垣間見られるのは、「仕事はお金のためにするのではない」という価値観だ。ある女性は「仕事にやりがい感じてたり一生懸命な人はそんなこと(ブラック企業批判を)言わないよね」と呆れる
介護業界もこういう押し付けあるんじゃないかな・・
やりがいの罠
もしかしたら、ヤリガイとかそういう求人の謳い文句を真に受けて働いているのでは無かろうか。そりゃ求人にそう書いていればそう思うよね。
ヤリガイのある仕事です!これ求人広告で書かれているのを見かける(ひどい場合は、生きがいだなんて言葉を求人広告に載せているところも)
ヤリガイは感じた事がない
が冥利というのは感じた事がある(それはフト突然、天から降ってきたような感覚)これで良かったんだ。とか、これがあるから辞められない、と実に曖昧な感覚からそう思うに至っているんだけど。このコントロールの仕様がないものの味をしめて、私は仕事を続けられていると思う。
話は戻って、ヤリガイというのは、危険な言葉だなと思う。
ヤリガイを感じたくて介護なりこの仕事するというのは、必ずいつか、下手するととっとと限界が来るね。
身を粉にするというか、精神を磨り減らすというか。ヤリガイってのは人が提供してくれるものではないからね。
そんなものを利用者に求めても利用者は迷惑だろうなぁと思う。
バリバリ介護してます、て言葉的シックリこないね。
何をどう思い信じて裏切られたのか定かではないが、私はお掃除オバサンではないッ!と言って怒るヘルパーさんに、担当者は、仕事のどこに、しんどさを感じているのか話しをジックリ聞いてみるのがいいかも。
期待しないで関わると、そう嫌な仕事でもないんでない?