センタリング
仏教は、東洋の心理学的な要素が多い、と。
ならば、仏道の教えを実践すれば、心軽くなるはず。
私的には、小池龍之介さんの著書が分かりやすい。
座禅入門です。
座り方、呼吸の仕方など、丁寧な解説に、読んでるだけでも、リラックス。
しかし、頭で分かったのと、体感するのとは、全然違うものである。
そりゃそうですね。
『ステップ④ 捨=平常心のお稽古』とあります。引用です。
平常心を欠いて集中力を育ててしまいますと自分の世界にどっぷり集中してしまいかねません。あるいは、平常心を欠いて自らへの内面への観察力=気づきをやたらに鋭くしてしまいますと、内面に隠されていた心の汚れや身体の苦痛に対して平静さを保てずに、心のバランスを崩してしまいかねません。
平常心、それは、どうすれば、身につくのか?
平常心のレッスン (朝日新書) に詳しく書かれているようです。
では、平常心が養う取り組みをしているという前提で、座禅の魅力を紹介します
空(くう)の味
心のなかに散らかった雑念を空っぽにして何かに打ち込むときに充実感を感じます。雑念のない空っぽの状態の心は、余計な情報処理の負担から開放されるので、頭も冴えてくるという具合です。この空っぽこそが、「空」とよばれるものの本義なのです。
呼吸に集中することで、「空」の清々しさ味わってまいりましょう。
・感情を見つめ、受け止めてやろうとする際に、多くの人が苦労するのが、怒りの感情を冷静に見つめる作業です。
なまじっか、仏教を学んで、「怒りはよくない」という価値判断に執着してしまいますと、自らの現実をジャッジせず、ありのままに見つめるという平常心が失われてしまいがいちです。(中略)”捨=平常心が不十分であったり、性格的に真面目すぎたりする場合、どうしても煩悩に対して、「解決すべき」「いけないもの」「のりこえるべき」という、無意識的なジャッジをしてしまいがちなものです。
①受容的な言葉
念じ方を、大人の自分が子供の自分の話しを聞いて、わかってあげるような調子にかえてみる。
②受容的イメージ
それでもなかなか怒りの客観視が難しければ、受容的イメージを思い描いてみる
・「良い悪い」というジャッジ抜きにありのままに受け止める練習を、つみかさねてみましょう。
引用部分は、ステップ⑥です。
小池氏がいうには、座禅は一つ飛ばしせず、順(ステップ)を追って、深めてまいりましょう、とのこと。
呼吸に意識を向け、今ここの自分を観察する。
意識を、過去や未来に飛ばすことなく、今に留まる。
諸行は無常
今というのは、もう、二度とない、一瞬をしっかり、とらえたい。