ケアする人、ケアされる人
『ケアの本質』
10年前、2級ヘルパーの研修で、ケアの理念という講義で、この本を紹介されました。読み返した感想です。
かなり、深い内容が書かれています。
・私は他者を自分自身の延長として感じ考える。さらに、私は、他者の発展が自分の幸福感と結びついていると感じつつ考える。そして、私自身が 他者の成長のために必要とされていることを感じとる。私は他者の成長が持つ方向に導かれて、肯定的に、そして、他者の必要に応じて専心的に応答する。
・ケアの対象はどれでもよい一般的なものではなく、いつも特定の誰かであり、特定の何かである、
この仕事をしていて特に思うのが、”自分自身の延長として感じ考える”とあるように、病気になることや障害を抱え生きていく人生というのは、自分にも起こり得るかもしれないことで、それは、いつも隣り合わせで身近なことと感じてます。
それから、対象については、確かに、いつでも、どこでも、誰にでも何にでも!と、情熱を持ってエネルギーを注ぐわけではない。特定であります。
リズムを変えること
・単なる習慣に従って行うだけでは、ケアすることはできない。・私の行動がもたらす結果が何であるか(中略)結果に照らして、私がよりよく他者を援助するため、自分の行動をそのまま続けたり、正さなければならない。
支援の振り返り、ですかね。私は、しまったーと思うことが多いです。精神的に、落ちてる利用者さんと関わる時、言葉や声色、表情や素振りなど、細心の注意を払っているつもりでいても、専心でない私を、ちゃんと見破ってくれます。するどい。
・しかし、”行動する”ということは広い意味で理解されるべきであって、まるで私が、常に相手に対して働きかけているかのように積極的側面だけから考えるべきではない。”何もしない”ということも行動することのうちなのである。
・”非行動性”の状態にあるときこそ、私は過程をよく見、それが動いていく結果を見、かつ考え、そこから適切に自分の行動を変える準備のときなのである
何かが発現するのを、待つのも大事かなと思います。考える時間であったり、自己決定に必要な時間って、人それぞれ違うんだろうなと思います。頭では、分かっているのだけれど、なかなか、踏ん切りがつかない・・そんな時期は、援助する側が焦って急かしたり責めたりしないで、寄り添うかんじがいいのかな、と。
ケアを通しての自己実現
・他者の成功こそケアするものの関心の中心なのである。
・ケアしていくうえで無私という要素が入ってくる
・無私は純粋に関心を持ったものに心ひかれること、”より自分自身”に近づくことができるとでもいうようなものである。このとうな無私の状態とは、最高の覚醒、自己と相手に対する豊かな感受性、そして、自分独自の力を十分に活用することを意味するのである。
これは、利用者さんから感じます。利用者さんが、私をケアしてくれているといっても過言じゃないですね。事務所でいるより、利用者さんといる方が、心休まる、と言った同僚の言葉を思い出しました。そういう事もあったりする。
ケアとは奥深いもののようです。その境地に到達する日は来るのでしょうか。